舞台が終わった。
千秋楽はこのBLOGの108話目になっていた。
煩悩の数。
もうあの軍服に袖を通す事も無い。
僕はまだ呆然としたままだ。
もうすぐこのBLOGも終わる。
いくつかの舞台裏話を残して。
僕は野中四郎大尉を演じたいと言っていたのはもう最初の台本が出来た頃からだ。
中橋のオープニングはまだ無かったけれど、当然その台本には野中大尉は登場していなかった。
劇団員の殆どは何故小野寺が野中大尉を演じたいのかわからないと言った人もいた。
事実、PASHIRIでは立候補者が一人もいなかったという。
ようやく台本に登場したのは開始30分後のシーン。
そこで話される言葉は、モナカさんのくだりだった。
そして「駄目な人間です」と口にする一人の青年でしかなかった。
それでも僕は野中四郎大尉を演じたいと思っていた。
僕はこの劇団の作品ではいつも開始シーンに登場しているイメージがあるそうだ。
開始シーンに登場しなくても、その次かその次にはいつも登場している。
だから何人かに、逆に止められた。
そして出来れば磯部さんか安藤さんをやって欲しいと言われた。
けれど個人的には磯部さんや安藤さんは演じることは出来ないと思っていた。
安藤さんの兵を帰すシーン、磯部さんの獄中のシーン。
台本がまだ前半部分の頃からそれがあるのだと思ってはいた。
それを演じてみたいという自分もあったことにはあった。
二・二六事件と言えば、安藤・磯部だと最初から思っていた部分もあった。
それでも僕にはこの二人を演じる事が出来なかった。
二人が獄中で残した恨みの言葉を僕は既に知っていた。
そして僕という役者が半年掛りでこの役にのめりこむ作業をすればそれは。
自分でも想像がつかないような事態になってしまうという無意識のブレーキがかかった。
何故なら、今も、安藤や磯部を思うと泣けてきてしまうからだ。
やれと言われればやる。
でも僕は、祖父という安藤さんの友人であった一人を知っている。
だから積極的ではなかった。
それでも、安藤さんと磯部さんの台詞は完全に自分の中にいれて稽古を続けていた。
しかしそれよりも何よりも。
僕は野中四郎に魅力を感じつづけていた。
(正確には相沢中佐にも強烈な魅力を感じていたが出てこなかった)
事件一週間前の2月19日に既に遺書を書いている人。
その遺書の中には「賊軍」という言葉さえ見つかる。
既に彼は一週間前の時点でこの事件の顛末さえも予測していた。
彼が記した蹶起趣意書には自分の名前しか書いていない。
責任がすべて自分に集中するように最初からしている。
警視庁の占拠は最大兵力の500人を率いている。
他の襲撃個所とは違って、交戦状態になれば最も危険な場所に行く。
それでも野中大尉は一滴の血も流さないまま占拠に成功している。
四日間の行動もどこをきりとっても冷静な判断をしている。
2万の兵力に囲まれた際の引き際まで一人際立っている。
そして謎の自決。
青年将校達に裁判で戦うために生きろと言い残しての自決。
彼の行動を追っていけば行くほど、冷静であることがわかる。
一遍の謎すらないはずだ。
野中四郎という人の奥の奥に、僕は何かを見つけたかった。
いや、その純粋な何かの向こうにこの事件の真実が見つかるとおいらは思っていた。
最初の台詞で僕はわかった。
デビッド宮原が野中四郎を通して書く何かを。
それは、最初の最初の台詞からだった。
美保子に何故軍人に?と聞かれたデビッド宮原の書く野中四郎は言う。
「家族の期待に答えなければならないという気持ちがどこかにあったのかもしれません」
デビッド宮原は野中四郎という青年将校の中に「私」と呼ばれるものの一切をなくしていた。
流されやすく、善悪の判断をするのにも悩んでしまう青年。自分を駄目な人間だという青年。
軍人になった事でさえ、自分のためではなく「家族」のためだといきなり語らせた。
「私」がないんですね?と確認するとすぐに「そうだ」とデビッド宮原は答えた。
そして「私」がないキャラクターはこの劇団の作品で初だとデビッド宮原は言った。
国家改造運動に荷担していた形跡が一切無いのに。
二・二六事件という最大の事件で総大将になっている人。
西田税も北一輝も面識すらなかったという。
憲兵もまったくのノーマークの人物だった。
口数が少なく、将校でありながら草むしりをやっていた人。
政治的な話での討論などは一切しなかった人。
前半。青年将校の誰とも絡む事がない役。
悩み、自分を駄目だと評し、善悪の判断すら出来ぬとこぼし、
求婚するのに何度も何度も恋人にはぐらかされ、
軍人の妻とは夫の死を覚悟することなのだと恋人に言われてしまい、
それでも求婚をして、不死を誓う。
一人の悩める青年。今の僕よりも二つだけ年下の青年。
後半。ようやく絡む将校は同じ歩兵第三連隊の安藤大尉のみ。
相沢中佐の自らの命を捨てるような覚悟に震えてしまう。
相沢中佐が何故そのような事件を起こさねばならなかったのか。
善悪の判断にも何日もかけてしまう青年は悩みつづける。
それでもデビッド宮原は彼に多くを語らせない。語らせる事をむしろこばんだ。
相沢中佐にも妻や子供がいる。その顔を思い浮かべながら僕は台詞を言う。
それでも、相沢中佐の家族の事など一切口にすることはない。
ただただ前を向くだけだ。
そして安藤を叱咤する。
同志を見殺しにしてはいけないと叱咤する。
ここで初めて野中は舞台上で事件と関係する。
もう舞台も終わりかけている最後の最後でだ。
そして彼は言う。
「俺は国家の捨て石となる。国家の腐敗に一石を投じる石となる。それが俺の定めと悟った」
この台詞を理解した観客がとれだけいたのだろう。
デビッド宮原は、野中四郎の死の決意をこんな言葉で書き、そして黙ったまま正座をさせた。
事件は、人を殺すのだ。
誰かが責任を取らなければなるまい。
たとえ昭和維新が成功したとしても。失敗したとしても。
責任だけは誰かが取らなくてはいけない。
野中四郎は事件の前に既に死を決断していた。
黙ったままの正座が僕のもっとも大変な場面となった。
台詞という言葉で説明する何十倍も大変だった。
僕は泣く事もない、笑う事も無い、怒る事も無い。
最初から最後まで、冷静に全ての感情を持ったまま、全ての感情を殺しつづけた。
その頂点となるシーンが、あの黙ったままの正座になった。
全ての将校が様々な感情表現をする中。
涙をこらえながらただ黙って中を見つめて正座を続けた。
置いていく美保子を思って。
涙をこぼす農村出身の部下を思って。
今、まさに立ち上がろうとする同志を思って。
自らの命を投じた相沢中佐を思って。
舞台の上で毎回胃が縮むのを感じながら黙って正座をした。
袖に飛び込むといつも涙がどぼどぼとあふれ出た。

次に登場したときには既に総大将になっていた。
もう、悩める青年の姿はどこにも無い。
死を覚悟した激する将校達の中で一人冷静な男でありつづけた。
事件そのものであるアクションシーンでもたった一人、走らずに歩いた。
そして自決前のシーンがやってきた。
磯部は村中に最後の一人になるまで戦うと怒鳴る。
栗原は落涙しながら兵を帰して我々は自決しようと言う。
将校たちはうなだれる。
僕は彼らを見つめてから叱咤する。
生き続けろ。生きて戦え。裁判で戦え。
絶対にここにいる誰一人として殺すつもりは無かった。
総大将の責任は一人の兵も殺さぬことこそが最大の成功だ。
磯部、死ぬまで戦うなんて言うな。
栗原、自決しようなんて言うな。
生きろ。生きて生きて戦え。
哀しい思いをするのは俺だけでいいんだ。
いや、俺と美保子と保子だけでいいんだ。
そして銃声がなったんだ。
僕はこの作品を通して。
青年将校が美しく見えるだろうと最初から予感していた。
それでも、絶対に。
人を殺すような事はあってはならないと思う。
だから、野中四郎というワタクシのない人物を通じて伝えたかった。
本当に美しい事は、誰にでもあるようなどこにでもあるような毎日なのだと。
だから野中四郎を大事に演じたかった。
僕にとっては初めてだった。
出番が遅い事も。
登場回数が少ない事も。
口数が少ない事も。
笑わない事も。
泣かない事も。
怒らない事も。
感情を殺し続ける役なんて初めてだった。
そして。
多くの恋人同士の中で野中夫妻と玉枝だけが背負ったものがあった。
それは軍人の夫婦だった。
カカア天下や、夫婦喧嘩ばかりの夫婦など現代にもある関係ではない。
武人と武人の妻という関係性。
ここを演じるカップルは野中夫妻だけになってしまった。
作品の性格上そうなってしまっただけだ。
本当は全ての青年将校たちの家庭がそうだった。
この作品で伝えたい事のためにさまざまな恋人関係を描いたら。
結局、野中夫妻だけが残ってしまった。家を守る玉枝だけが残ってしまった。
だから僕は袖で頭を下げつづけた。
美保子さんが世間に向かって立派に武人の妻として土下座をしている時に。
いや、玉枝さんが栗原の罪を背負って服毒自殺をするまで。
夫の事件まで背負った妻たちに頭を下げつづけた。
床の上に涙がポトポト落ちた。
この舞台を通じて。
「青年将校は正しかったんだ」というだけの感想を持った人がいたのならば。
きっときっと自分の責任だと今も思っている。
袖でしか涙を流せない役を通じて、僕は、作品の中のその部分を演じたかった。
祖父も関係したこの事件の自分の中での答えを。
事件前に死を決意した人を通じて感じたかった。
僕にそれが出来たのだろうか。
それでも僕は野中四郎大尉を選んで本当に良かったと思っている。
初日の昼間にバリカンで髪を丸めた。
坊主でも軍人でも意味は同じ。
煩悩を断ち切るという意味がそこに込められている。
極端に短い髪は、死を覚悟した・・・いや、生への執着を捨てた男そのものとなるためだった。
国のため、軍のため、同志のため、部下のため、家族のため、妻のため、娘のため。
何かのためばかりで、そこにワタクシはないまま僕は散っていった。